判例・法令紹介

【第1回】―那覇市孔子廟事件(最高裁判所令和3年2月24日判決)―

2024.12.06

所長弁護士 當真 良明

(事案の概要)
本件、地方自治法の住民訴訟の規定により、住民が那覇市を訴えた事件である。
那覇市(Y)は、一般社団法人である久米崇聖会(訴訟参加人Z)に対し、市の管理する都市公園内に儒教の祖である孔子等を祀った久米至聖廟(孔子廟)を設置する許可を与え、合わせてその敷地の使用料の全額を免除する決定をした。
これに対し、住民Xらが、上記の設置許可及び使用料免除は,憲法の定める政教分離原則に違反し,無効であり、これらの当時の市長の行為は違法に財産の管理を怠るものであるとの理由で,地方自治法242条の2第1項3号に基づき「怠る事実の違法確認」を求めたものである。

 

(裁判所の判断)
最高裁判所は、次のように述べて、那覇市の行為が政教分離原則に反すると判示した。
1 憲法は,20条1項後段,3項,89条において,いわゆる政教分離の原則に基づく諸規定(以下「政教分離規定」という。)を設けているところ,一般に,政教分離原則とは,国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)の非宗教性ないし宗教的中立性を意味するものとされている。そして,我が国においては,各種の宗教が多元的,重層的に発達,併存してきているのであって,このような宗教事情の下で信教の自由を確実に実現するためには,単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず,国家といかなる宗教との結び付きをも排除するため,政教分離規定を設ける必要性が大であった。しかしながら,国家と宗教との関わり合いには種々の形態があり,およそ国家が宗教との一切の関係を持つことが許されないというものではなく,政教分離規定は,その関わり合いが我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合に,これを許さないとするものであると解される。
そして,国又は地方公共団体が,国公有地上にある施設の敷地の使用料の免除をする場合においては,当該施設の性格や当該免除をすることとした経緯等には様々なものがあり得ることが容易に想定されるところであり,例えば,一般的には宗教的施設としての性格を有する施設であっても,同時に歴史的,文化財的な建造物として保護の対象となるものであったり,観光資源,国際親善,地域の親睦の場などといった他の意義を有していたりすることも少なくなく,それらの文化的あるいは社会的な価値や意義に着目して当該免除がされる場合もあり得る。これらの事情のいかんは,当該免除が,一般人の目から見て特定の宗教に対する援助等と評価されるか否かに影響するものと考えられるから,政教分離原則との関係を考えるに当たっても,重要な考慮要素とされるべきものといえる。そうすると,当該免除が,前記諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えて,政教分離規定に違反するか否かを判断するに当たっては,当該施設の性格,当該免除をすることとした経緯,当該免除に伴う当該国公有地の無償提供の態様,これらに対する一般人の評価等,諸般の事情を考慮し,社会通念に照らして総合的に判断すべきものと解するのが相当である。
以上のように解すべきことは,当裁判所の判例(最高裁昭和46年(行ツ)第69号同52年7月13日大法廷判決・民集31巻4号533頁,最高裁平成4年(行ツ)第156号同9年4月2日大法廷判決・民集51巻4号1673頁,最高裁平成19年(行ツ)第260号同22年1月20日大法廷判決・民集64巻1号1頁,最高裁平成19年(行ツ)第334号同22年1月20日大法廷判決・民集64巻1号128頁等)の趣旨とするところからも明らかである。

2(1)前記事実関係等によれば,本件施設は,本件公園の他の部分から仕切られた区域内に一体として設置されているところ,大成殿は,本件施設の本殿と位置付けられており,その内部の正面には孔子の像及び神位が,その左右には四配の神位がそれぞれ配置され,家族繁栄,学業成就,試験合格等を祈願する多くの人々による参拝を受けているほか,大成殿の香炉灰が封入された「学業成就(祈願)カード」が本件施設で販売されていたこともあったというのである。そうすると,本件施設は,その外観等に照らして,神体又は本尊に対する参拝を受け入れる社寺との類似性があるということができる。
本件施設で行われる釋奠祭禮は,その内容が供物を並べて孔子の霊を迎え,上香,祝文奉読等をした後にこれを送り返すというものであることに鑑みると,思想家である孔子を歴史上の偉大な人物として顕彰するにとどまらず,その霊の存在を前提として,これを崇め奉るという宗教的意義を有する儀式というほかない。また,参加人は釋奠祭禮の観光ショー化等を許容しない姿勢を示しており,釋奠祭禮が主に観光振興等の世俗的な目的に基づいて行われているなどの事情もうかがわれない。そして,参加人の説明によれば,至聖門の中央の扉は,孔子の霊を迎えるために1年に1度,釋奠祭禮の日にのみ開かれるものであり,孔子の霊は,御庭空間の中央を大成殿に向かって直線的に伸びる御路を進み,大成殿の正面階段の中央部分に設けられた石龍陛を越えて大成殿へ上るというのであるから,本件施設の建物等は,上記のような宗教的意義を有する儀式である釋奠祭禮を実施するという目的に従って配置されたものということができる。
また,当初の至聖廟等は,少なくとも明治時代以降,社寺と同様の取扱いを受けていたほか,旧至聖廟等は,道教の神等を祀る天尊廟及び航海安全の守護神を祀る天妃宮と同じ敷地内にあり,参加人はこれらを一体として維持管理し,多くの参拝者を受け入れていたことがうかがわれる。旧至聖廟等は当初の至聖廟等を再建したものと位置付けられ,本件施設はその旧至聖廟等を移転したものと位置付けられていること等に照らせば,本件施設は当初の至聖廟等及び旧至聖廟等の宗教性を引き継ぐものということができる。
以上によれば,本件施設については,一体としてその宗教性を肯定することができることはもとより,その程度も軽微とはいえない。

(2)本件免除がされた経緯は,市が,本件施設の観光資源等としての意義に着目し,又はかつて琉球王国の繁栄を支えた久米三十六姓が居住し,当初の至聖廟等があった久米地域に本件施設が所在すること等をもって本件施設の歴史的価値が認められるとして,その敷地の使用料(公園使用料)を免除することとしたというものであったことがうかがわれる。
しかしながら,市は,本件公園の用地として,新たに国から国有地を購入し,又は借り受けたものであるところ,参加人は自己の所有する土地上に旧至聖廟等を有していた上,本件土地利用計画案においては,本件委員会等で至聖廟の宗教性を問題視する意見があったこと等を踏まえて,大成殿を建設する予定の敷地につき参加人の所有する土地との換地をするなどして,大成殿を私有地内に配置することが考えられる旨の整理がされていたというのである。また,本件施設は,当初の至聖廟等とは異なる場所に平成25年に新築されたものであって,当初の至聖廟等を復元したものであることはうかがわれず,法令上の文化財としての取扱いを受けているなどの事情もうかがわれない。
そうすると,本件施設の観光資源等としての意義や歴史的価値をもって,直ちに,参加人に対して本件免除により新たに本件施設の敷地として国公有地を無償で提供することの必要性及び合理性を裏付けるものとはいえない。

(3)本件免除に伴う国公有地の無償提供の態様は,本件設置許可に係る占用面積が1335平方メートルに及び,免除の対象となる公園使用料相当額が年間で576万7200円(占用面積1335平方メートル×1か月360円×12か月)に上るというものであって,本件免除によって参加人が享受する利益は,相当に大きいということができる。また,本件設置許可の期間は3年とされているが,公園の管理上支障がない限り更新が予定されているため,本件施設を構成する建物等が存続する限り更新が繰り返され,これに伴い公園使用料が免除されると,参加人は継続的に上記と同様の利益を享受することとなる。
そして,参加人は,久米三十六姓の歴史研究等をもその目的としているものの,宗教性を有する本件施設の公開や宗教的意義を有する釋奠祭禮の挙行を定款上の目的又は事業として掲げており,実際に本件施設において,多くの参拝者を受け入れ,釋奠祭禮を挙行している。このような参加人の本件施設における活動の内容や位置付け等を考慮すると,本件免除は,参加人に上記利益を享受させることにより,参加人が本件施設を利用した宗教的活動を行うことを容易にするものであるということができ,その効果が間接的,付随的なものにとどまるとはいえない。

(4)これまで説示したところによれば,本件施設の観光資源等としての意義や歴史的価値を考慮しても,本件免除は,一般人の目から見て,市が参加人の上記活動に係る特定の宗教に対して特別の便益を提供し,これを援助していると評価されてもやむを得ないものといえる。

(5)以上のような事情を考慮し,社会通念に照らして総合的に判断すると,本件免除は,市と宗教との関わり合いが,我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとして,憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当すると解するのが相当である。

(コメント)

本件は、事案の概要及び判決文から分かるように、那覇市の孔子廟に関する事件である。地元沖縄に関する事件としても興味深いが、法律的には次に2点をコメントしたい。
⑴ 本件がいわゆる住民訴訟として提起されたものであること
本件の場合、原告Xは、被告那覇市の行為で何らかの「個人的な損害や不利益」を被ってはいない。このように、個人的な損害や不利益がない場合、一般には、訴訟を起こせないことが原則である。
しかし、地方自治法の定める住民訴訟の場合、住民が個人的な損害等を受けていない場合であっても「住民との資格」だけで、訴訟提起できる場合がある。
この住民訴訟は、住民による地方行政に対する異議申立手段として、重要な機能を果たしているものであり、近時ますますその重みが増している制度であるが、その制度を活用するためには高度に専門的な知識と経験が必要である。
今後とも、地方行政側、住民側ともに、住民訴訟制度をいかに活用するか、あるいは住民訴訟にいかに対応するかの問題が、重要性を増すものと思われる。
⑵ 自治体には政教分離原則について慎重な対応が求められること
本件の判示では、「宗教的施設としての性格を有する施設」であっても、「歴史的,文化財的な建造物として保護の対象となるものであったり,観光資源,国際親善,地域の親睦の場などといった他の意義を有していたりすることも少なくなく」その場合は「文化的あるいは社会的な価値や意義に着目して当該免除がされる場合もあり得る。」としながらも、本件孔子廟については、来歴、儀式の内容、設置の経緯等について詳細な事実認定をして、「本件施設の観光資源等としての意義や歴史的価値を考慮しても,本件免除は,一般人の目から見て,市が参加人の上記活動に係る特定の宗教に対して特別の便益を提供し,これを援助していると評価されてもやむを得ない。」と判示している。
従って、自治体等の担当者としては、「観光資源等としての意義や歴史的価値を考慮」して便益の提供等をする場合でも、当該対象が宗教的施設等である場合、本件最高裁の指摘事項に照らし、「特定の宗教に対して特別の便益を提供し,これを援助」していると評価されないか否かを慎重に検討して判断する必要があるし、住民側としては、そのような視点から行政の活動をチェックすることが有益となると思われる。